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『ブッダの教えと怪我しないヨガ②~頑張ることにこだわらない』 | imazero

『ブッダの教えと怪我しないヨガ②~頑張ることにこだわらない』

ついつい頑張りすぎちゃって「もうヤダ~」なんてくたびれてしまうことありますよね。

長年ヨガの指導をしているとまじめな生徒さんほど体が硬いと感じることがよくあります。

まじめな方ほど、「完璧にやろう」と気を張り詰めて頑張りすぎてしまうので、体まで緊張してガチガチに硬くなってしまうんでしょうね。

そして、そんな方ほどレッスンの中でやろうと思ったポーズが出来ないことに、とてもがっかりされて辛くなられるんです。なので私はいつも、このようにお伝えしています。

「体が硬いということは、それだけまじめに一生懸命生きてきた証拠なので誇りを持ってください。なんで出来ないんだと自分を責める必要は全くありません。」と。

実際、体が硬い方ほどまじめにレッスンをコンスタントに続けてくださるのでどんどんYogaの効果が表れてきます。

ですから、「体が硬い人ほどYogaに向いてる」と言えるわけです。

精進第一のソーナの気づき

ブッダ(釈迦様)のお弟子の中にも、まじめで修行を頑張りすぎて、疲れてしまったお弟子がいました。

ソーナというお弟子は、もともと裕福な家の生まれで、何不自由のない生活を送っていましたが、幼少の頃にお釈迦様の説法を聞き深い感銘を受けて出家して弟子となりました。

弟子となってからのソーナは、悟りをひらくためにどのような厳しい修行も進んで行い、「弟子の中でも、ソーナほど努力精進する弟子はない。ソーナこそ精進第一だ」とお釈迦様から褒められるほどの頑張りぶりでした。

しかし、いくら修行に励んでも、ソーナの求める悟りは得られませんでした。

悩み苦しんだ末、ソーナは考えました。

私は、お釈迦様から精進第一と言われるまで努力を重ねてきたが、いまだ悟りを得ることができない。ひょっとしたら、私には、そもそも無理な道ではないだろうか。

いっそ修行をやめて、家に帰ったほうがよいのではないだろうか。

ソーナの悩みを察知なされたお釈迦様は、彼を呼び寄せました。

「ソーナよ、お前は家にいたとき、琴を習ったことがありますか」

「はい、習いました」

「琴を弾くとき、琴の弦を強く張れば、よい音が出ましたか」

「いいえ、弦をあまり強く張りすぎては、よい音は出ないものでごさいます。」

「それでは、弦をゆるめたほうが、よい音が出ましたか」

「いいえ、弦をゆるめすぎても、やはりよい音はいたしません」

「琴を弾くときでも、弦をゆるめすぎず張りすぎず、ほどよく調子を整えれば、よい音がでたのではないですか」

「はい、その通りでございます」

「ソーナよ、修行も琴と同じです。

努力が過ぎても『こんなに努力したのに』と、そこに執着が生まれます。

逆にゆるめすぎると今度は、怠け心が生じてしまうものなのですよ」

お釈迦様はさらに続けられました。

「悟りの道を求める場合も、努力することにこだわりすぎず、かといって、怠けず、琴の弦のように緩急よろしきを得ることこそ大切なのですよ。

『中道(ちゅうどう)』を行きなさい」

この「中道」とは、極端でなく、偏っていないあり方のことです。

ソーナはおのれの誤りに気がつき、よろこんでお釈迦様を礼拝して、また静かな林の中に戻って修行を続け、ついに悟りを得ることができたといわれます。

〔引用:心が「スーッ」と晴れるほとけさまが伝えたかったこと 著:岡本一志〕

「努力家」は誉め言葉で、努力することはとても素晴らしいことですが、あまりにも努力にこだわりすぎて、「努力すること」「頑張ること」が目的になってしまうと、ふと気がつけば何のために頑張っていたのかわからなくなってしまうことがあります。

「燃え尽き症候群」や「空の巣症候群」なども同じなのではないでしょうか?

【無理しすぎることは自分を傷つけること】

Yogaの八支則の中のヤマ=行ってはいけないことの最初に【アヒンサ】(非暴力)という教えがあります。

他者を傷つけてはいけないのはもちろんのこと、自分自身も傷つけないということです。

無理をして頑張りすぎてしまうことは、自分自身を傷つけることになりますので、アーサナ(ポーズ)の練習の中で歯を食いしばって息を止めて必死で痛みを耐えながらアーサナを行うことは、この【アヒンサ】に背くことになります。

「Yogaは呼吸」と言われているくらい呼吸がとても大切です。

頑張りすぎて呼吸をすることを忘れてしまってはYogaの効果を得ることは出来ません。

せっかく忙しい中、時間を作ってYogaの練習を一生懸命にしているのに本当にもったいないですよね。

Yogaの練習も琴の弦と同じです。

頑張りすぎてもいけないし、頑張らなさ過ぎても効果を得ることが出来ず、真のYogaの楽しさを体験できずにYogaへの苦手意識だけが強くなってしまいます。

【良い加減で適当に】

「いい加減」=良い状態に力を加えたり減らしたりして、「適当」=適度にイタ気持ちいい、ゆったりと呼吸を楽しめる余裕がある姿勢が一番今の自分に効果をもたらしてくれるので、「当たり~!」の位置を探して見つけていくことをしていけば、アーサナの練習の中で怪我をすることはありません。

「自分のYogaの研究者」になってご自分にとっての一番を発見していきましょう。

カッコイイポーズをやってみたい、やりた~いという焦りの気持ちを手放して、真摯にご自分の心と体と向き合って相談しながら練習していけば、いつの間にか体が柔らかくなって、インナーマッスルも鍛えられて、難しいと感じていたアーサナさえも心地よく深まっていく楽しさを味わえるようになります。

1から10に急に飛ぶようなことをしてしまっては絶対に怪我をしてしまいます。2から9を楽しむことがYogaの醍醐味なのです。

足し算を理解しないと引き算は出来ませんよね。足し算引き算が出来ないと掛け算は出来ないし、割り算も因数分解も出来ません。

まずは、Yogaの足し算から丁寧に行ってみて下さい。

一生懸命やっているのに一向に成果が表れてこない、頑張ってきたけれど、なんだか疲れてきたな、めんどくさいな、嫌になってきちゃったなんて感じるときは「頑張らなければいけない」とこだわりすぎて、少しゆるめることに罪悪感や嫌悪感を感じて「完璧」を目指してしまっていないかを一度立ち止まって、自分の正直な気持ちと向き合ってみましょう。

「正す」という漢字を分解すると「一」と「止」になります。

一度立ち止まることでリセットし、真の目的、本当はどうしたいのか?何を得たいのか?を振り返ると、もっと自由にもっと気軽で楽しく、肩の力を抜いてYogaに取り組めると思います。

琴の弦のように、張りすぎず、ゆるめすぎず、「ほどほど」のちょうどいいバランスが何事にも大切で、『中道を行くこと』が自己コントロールに繋がっていくと私は思います。

          

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